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No.1229 フィンランドから日本の教育を点検(5)


韓国サムスンの携帯電話 25日(木)快晴。今読み進んでいる福田誠治氏の「競争しても学力行き止まり」によってフィンランドの教育システムを紹介してみたいのだが、全く驚いたのは、改革のきっかけが英国や日本同様、新自由主義、グローバリズムにあったというのである。

 フィンランドに実現したのはイギリス、日本のシステムに似ても似つかぬ内容である。氏の本からほぼそのまま引用させていただきながら、日本の現状と比較してみたい。「フィンランドでは権限を地方に移管したが、成果主義を排除した」

「中央の枠はガイドラインにとどめ、教員の支援にとどめた。中央行政権限を条件整備と情報提供に限定した。その結果、現場に自由度と責任が増し、創造的で生徒個々人に合った質の高い、本来の教育が実現した」戦後の日本も1950年まではそうだった。

右折優先のラウンドアバウト 「国家カリキュラム(指導要領)は国家教育委員会が決めるものの、それは大綱的でガイドライン程度の性格である。どの学年で何時間度の教科を学ぶかは地方自治体と学校が決める。また、どう教えるかは学校の中で教師が決める」

「どの教科をどう組み合わせ、どこに重点を置き、計画通りいかなかった場合にはどこをスキップ(簡素化)するかなど、時間割の運用は一人ひとりの教師が決められる。教科書には検定がなく、教科書は質の良い教材の一つにすぎない。中味は自分でつくっていく」

この一見すると当たり前だと思われる(日本人の中にはそう思わず、教育内容は国家が決めるもので、個々の教師に教育の自由を与えることを危険視する人が増えているらしい)ことを否定し、教育内容の画一化、統一化が進み、教師の管理を強化し続けている。

流しのタクシーはない 「競争原理についてはフィンランドでは、これを否定する。フィンランドでも生徒・親が教師を、教師が校長を評価する調査が2年に一度の割合で自治体規模で導入されている。生徒には自己評価欄を大きくして自らを評価する側面を強めている」

 日本では校長が一方的に秘密裏に評価し、本人の反論を事実上認めていない。ましてや生徒や親を教員の評価に参加させるなど検討されたこともない。フィンランドでは「親は無記名で意見を寄せ、校長と教師は親や生徒の意見を参考に討議し、改善点を探る」

「学校評価や教師評価を市民の社会参加、社会の自己管理の一過程とみなして、市民性を育てる意義ある行為として積極的にとらえられている。(略)評価は改善の手段であって管理の手段ではない。教師に対する人事考課は一切行わない」
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「私日記「のびる」~ニュージーランドから~」
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昨年12月からニュージーランドのオークランドにロングステイしながら、NZからみた日本の政治のおかしさ、特に社会保障や教育、原発等について問題提起をしています。
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